青心会通信(無料時代Vol.2)

THE BLUE HEARTS

前回に引き続いて、リニューアル後の青心会通信Vol.2を今回は紹介します。

表紙はこんな感じです。

メンバーが全体的に細い気がします。梶くんのタンクトップや河ちゃんの星マークのシャツはこの頃から顕在のようです。ちなみに、今回の通信は1986年10月頃に発行されたもののよう。

青心会通信はTHE BLUE PARTSのように、何年何月発行とは明記されていないのですが、このようにライブスケジュールが載っているので、これらなどから推測できます。

Vol1では、メンバーがファンからの質問に答えるコーナーを載せてみました。

今回は、各メンバーが思い思いに書いているページの中から、マーシーのページを掲載します。(ちょっと長いけれど、頑張ります)

☆THE SIRANGLERSがやって来た ヤア!ヤア!ヤア!☆

Guitarのましまです。なぜ突然ストラングラーズかというと、もうそろそろ三島由紀夫の命日だなあと考えていたらいきなりジャン・ジャックが空手をしながら部屋に入ってきて、『アウトサイド・トーキョー』を歌っていたからであった。(ウソ)

1979年2月17日 僕は高橋君とChuya(元アレルギー,今De-Lux)と3人で後楽園ホールのステージから五列目のあたりでストラングラーズの登場を待っていた。黒ずくめの若者達でうまったホールには早くも異様な熱気がただよい(東京ROCKERSの人々や渋谷陽一も来ていたなあ)ヤバイフンイキが満ちていた。サッと客電がおちると客席後方で何か騒ぎがおきている。「何だ!何だ?」と思って振り向くとジャン・ジャックがステージに向かって歩いてくるではないか。僕はすかさずすぐ横を通り過ぎようとするジャンに抱きついて皮じゃんにつけていたバッジをもぎとってしまったのであった。(タダのタチの悪いミーハーだったわけだな)ジャンがステージに上るともうそこにはヒュー・コーンウェル、ジェット・ブラック、デイヴ・グリーンフィールドがセッティングしていて間髪入れずに『5ミニッツ』がはじまった。(カッコイイ!!)

間奏になると再びジャン・ジャックは客席に降りて来て警備のための鉄サクをブーツでけりつけて解除させようとしたのであった。曲が終るとマイクロフォンをわしづかみにして「これはロックン・ロールなんだから、みんな立ち上がって踊ろう」というようなことを言い放つのであった。ヒューはおなじみのヨレヨレのコートを着て黒いテレキャスターを抱えて、ガムをかみながらニヤニヤしているイギリスの変態インテリ親父のようであった。

客と警備員の乱闘ははじまるし、ナイフを持ったパンクスは追い出されるし、ジャン・ジャックは警備員の頭をブーツでこずき回すし、ビールの缶は飛ぶし、『ノーモア・ヒーローズ』はやるしで大荒れの嵐のようなGGだったのであった。最後の曲は『トイラー・オン・ザ・シー』(僕は当時この美しい曲が大好きだったんだ)デイヴがシンセで強く吹きつける風の音をだすとメンバーはアッというまに消え去りGIGは終ってしまった。客電のついたホールは白々としていたが、ストラングラーズ・ショックをうけた僕たちは何か自分が少し変ったような感じを抱きながら口数少なく帰途についたのであった。

17才まであと3日の寒い冬の夜に僕は大変なものを見てしまったのだった。(ストラングラーズを知らない人にはゴメンナサイでした)それじゃあ、またね

ストラングラーズ(The Stranglers)とは、イングランド出身のロックバンド。1974年から、なんと現在まで活躍中です。ただし、オリジナルメンバーはベースボーカルのジャン・ジャックのみ。Youtubeにも映像があがっているので、聴いたことのない方はぜひどうぞ。

当たり前ですが、マーシーにも16才の時があり、憧れのバンドマンのGIGに熱狂していた頃があったんだなぁ(今でもあるんだろうなぁ)と思う今日この頃でした。

 

今回の青心会通信の紹介は以上です。ありがとうございました。

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