甲本ヒロト(愛を込めて敬称は略させてください)と聞けば
思い浮かぶバンドは、ザ・クロマニヨンズ、ザ・ブルーハーツ、ザ・ハイロウズの方が多いと思います。(中には、ラウンド・アバウト、ザ・コーツの方もいらっしゃるかな?)
ヒロトはその他にもバンドをやっていて、ブルーハーツが1995年に活動休止をした時に期間限定でザ・ヒューストンズというバンドをしていました。
公式に音源はリリースされていませんが、何曲も音源は存在します。
前回は、その中の1曲である「呼んでくれ」を紹介しました。
今回は、ヒロトがロックに目覚めるきっかけであり、のちに日本語でカバーした曲
”Do Wah Diddy Diddy” ドゥ・ワ・ディディ・ディディ(by Manfred Mann)について紹介します。
”Do Wah Diddy Diddy” ドゥ・ワ・ディディ・ディディ
この曲は、イングランド出身のブリティッシュ・ビートバンドで1962年から1969年まで活動したManfred Mann(マンフレッド・マン )のシングル曲。
ちなみに、マンフレッドマンというバンド名は、メンバーのキーボード奏者であるマンフレッドマンにちなんでいます。
ヒロトは中学1年生の頃に、偶然FMから流れてきたこの曲に衝撃を受けたことがロックに目覚めたきっかけでした。そして、ブルーハーツを休止中に活動していたザ・ヒューストンズでこの曲を日本語訳して歌っています。せっかくなので、歌詞を載せてみます。
ヒロトがマンフレッドマンに出会った日
その時の出来事が書いてある記事を見つけたので、一部抜粋します。
「なんとなくFMつけてたら、音楽番組いっぱいあるでしょ?そのうちの1つにガビンと引っかかった」
ー具体的にはどういうバンドかかってたの。
「もちろんビートルズ、ストーンズとかもかかったけど、僕ね、一発目に衝撃受けたのが、マンフレッド・マンだったの」
ーマンフレッド・マンの何やってたの。
「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ。あれのイントロ。びっくりしちゃって、うわー、馬鹿だなー、と思って。僕よりも馬鹿かもしれないと思って。馬鹿もここまで突き抜けりゃ、カッコイイな、だめもここまでだめならいいか、みたいな(笑)」
ーあんまりロックっつう感じのものでもないけどね。
「でもそこにはー僕がどうして自分がだめだったのかっていうのは、世の中には価値観っていうものがちゃんとあって、いろんな物差しがあって、あるいろんなジャンルで、そのハードルを越えた者だけが生き残れるって勘違いしてた。僕はマンフレッド・マンのそのイントロ聴いた途端に、価値観っていうのは、なくなっちゃった。ハードルもなくなっちゃったし、例えば音符の読めないやつが音楽で金儲けするとか、字の読めない書けないやつが小説家になって世界一になってるとか、あり得るんだっていう事が、すごくリアルに感じられた。そうしたらものすごい勇気りんりん湧いてきて、お肉でも魚でも食べられるし、牛乳も飲めるようになるし、車に10分乗ったらゲロ吐いてたのに、もう2時間乗っても平気になったし、すごく貴重な体験だったんですよ」
1997年発刊 BRIDGEより
マンフレッドマンを聴いた瞬間に、涙が止まらなくなって、畳をかきむしっていたというのは有名なエピソードですが、その瞬間にどんなことが起こっていたのかが言語化されている貴重な記事だなと思います。
自分の中にある価値観や物差しは、自分の方向を決めてくれるコンパスでもあるけど、同時に自分を何かの枠に収めてしまう可能性がある。それをぶっ壊してくれた(ある意味、作り出してくれた)のが、ヒロトにはたまたまロックンロールだったんですね。
ちなみに、ヒューストンズのドゥ・ワ・ディディ・ディディも、Youtubeでフルがあがっているので、興味がある方は聴いてみてください。
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