甲本ヒロト

THE BLUE HEARTS

ザ・クロマニヨンズ(exザ・ブルーハーツ、ザ・ハイロウズ)のボーカルである甲本ヒロトについて紹介します。

基本情報

1963年3月17日生まれ(現在、61歳!) 岡山県岡山市出身

身長174センチ 体重(不明だが、ツアー中はBMIが1桁になるらしい)

既婚で、お相手は高校の時の同級生。結婚記念日は3月3日

岡山県岡山操山高校卒業→法政大学経済学部中退

ザ・ブルーハーツ時代は、「~じゃろ?」と言った岡山弁全開でトークをしたりMCをしたりしていたが、現在はどちらかというと標準語よりの印象。(地元でのライブでは、方言が出るらしい)

バンドの歴史

岡山県にいた時は、キャプティンカーベルこと亀山哲彦らに誘われて、ラウンドアバウトというバンドにボーカルとして加入。初めて作った曲は、Jump’inJap 3-3-7(3,3,7拍子の曲とのこと)。当時はなぜか、ダンシングヒロトという名前で活動していた。

岡山県でライブをしていた時には、観客を集めるために川でとったザリガニを配ったことがあるらしい。

そのメンバーで上京し、スター誕生!のオープニングアクトとして前述のJump’inJap 3-3-7を演奏し、その模様は全国放送されたこともある。しかし、1982年頃に解散。

その後、キャプティンカーベルこと亀山哲彦らとモッズバンドであるザ・コーツを結成。

このバンドで活動時に、ヒロトはNONONO,ロマンチック,少年の詩、人にやさしく(できた当時はがんばれのうた)といった、後にブルーハーツでも演奏される曲を作っている。

人気のあるバンドだったが、1984年8月の新宿JAMでの2daysの後に解散。

特に新しくバンドを組む予定もなくプラプラしていたヒロトに、ザ・ブレイカーズが解散したばかりのマーシーが声をかけて、ザ・ブルーハーツが結成された。「俺、ヒロトのファンだったんだ」とのこと。

1985年に結成されたザ・ブルーハーツは2度ほどメンバーチェンジをしながら、1987年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。契約に応じる条件は、「歌詞を変えないこと」デビューしてからの歴史は言うまでもなく、数多くの人々の心を魅了した。

しかし、ザ・ブルーハーツは1994年に活動休止、1995年には解散。

同年、マーシーに誘われて、ザ・ハイロウズを結成。ミサイルマンでデビューし、精力的に活動するも2005年に活動休止。(こちらは解散とはなっておらず、いまだに公式HPも残っており、閲覧することができる)

2006年には、マーシーと共にザ・クロマニヨンズを結成。詳細を伏せてロックフェスへの参加を表明したが、ネットでは「ヒロトとマーシーの新しいバンドでは!?」とばれていた。2016年、10年周期でバンドが変わってきたヒロトとマーシーだったので、もしかしてという考えが頭をよぎったが、クロマニヨンズは継続され、2024年の現在も精力的に活動している。

ちなみに、2006年にはソロシングルを出している。また、2019年からブギ連のボーカルも務めている。

ロックに目覚めたきっかけ

中学生の時に、偶然ラジオから流れてきたマンフレッドマンのDoo Wah Diddy Diddyで涙が止まらなくなり、気づいたら畳をかきむしって泣いていた。それが、ヒロト少年がロックに目覚めた日、きっかけだった。

この曲については、のちに、ザ・ヒューストンズで日本語の歌詞をあててカバーしている。

 

エピソード

・実家は、ドライ甲本というクリーニング屋さん(現在は閉店している)。お父さんの一番かっこよかった姿は、アイロンを握っている姿だったとのこと。

・上京してから、ラーメン屋でアルバイトをしていた。しかし、どこの席がどのラーメンを頼んだか覚えられないので、ラーメンができたら「ラーメン、どこですかぁー!」と言っていた。

・高校生の頃は体育委員で、運動会でみんなの前でラジオ体操をしたことがある。その時、片思いしていた女子がいたが、後から両想いだったことが発覚した。ちなみに、彼女は写真部だった。

 

エピソードも、その他の情報も、また適宜追加していきます。

 

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